建武集団最後の兵士「赤松信乗の日記」から引用として建武集団戦跡記録を記述した石碑と新たに作る石碑場所を指すマバラカット観光局ガイ・ヒルベロ氏 

1945年、パンパン我州リンガエンの米軍上陸の備えにあたる建武集団


 この石碑をもっと立派なものにしたいとの恵観先生の思いを受け、日本語も入れて製作することになったのが2004年。この石碑に刻まれている建武集団最後の兵士「赤松信乗の日記」から引用として記されている内容(本人は知らなかった)の原題は1993年双葉社から刊行された、赤松信乗著「特攻基地の墓碑銘」~赤松海軍予備学生日記~を入手して、ご本人と連絡とって(当時、徳島県阿波市 浄土真宗本願寺派 尊光寺住職)この石碑に書かれている精査をお願いし、日本語部分は当時、目黒区にあった防衛庁防衛研究所図書館史料閲覧室の資料を基に作成し、石碑に文字刻む前に再度ご本人に原稿を送って校正していただき品川区の大森石材店にて製作したのでした(黒御影石、文字コンピュータ彫り)


 マバラカット市関係者2人とラモス元大統領娘婿の3人を恵観先生が日本へ招待することになり東京、京都、大阪、鹿児島(最福寺での護摩行見物、知覧訪問)滞在を終えフィリピンへ帰国する3人に完成したばかりの石碑をマバラカットまで搬送してもらこととなった(総重量約80kg) マバラカット関係者:マバラカット観光局ガイ・ヒルベロ局長、ジュン・シバル、マバラカット行政官

石碑除幕式

2004.10.25 マバラカット・リリーヒル「平和観音宮」

平和観音宮

パンパンガ州クラーク・マバラカット市

 1998年(平成10年)10月25日、日本の高僧池口恵観法主とマバラカット地方自治体代表マリノ P. モラレス町長は、第二次世界大戦(1941年12月8日~1945年8月15日)中、初めて当地において編成された神風特別攻撃隊の出撃から54周年を迎えるにあたって『世界平和都市』を宣言し、かつて航空基地群があり、遊撃部隊『建武集団』が最後の要塞を築いたこの地リリーヒルに、恒久平和を誓って平和観音宮を建設しました。(石碑冒頭部分) 


2017年8月撮影

20180910 0744 更新